そろそろ2年生に更なる自覚が生まれてこなければならない時期です。
何人かはシッカリしてきた子がいます。
野球が上手い下手にかかわらず誰にでも出来る事で何度も注意を受けてるようじゃダメでしょう。
単純な野球ルールや基本さえ理解出来てない子もいますが、それはそれで仕方ない、こちらが教えていくしかないですが、小学4年生くらいに教える事を目線を下げて今言わなければならないという事に何か複雑な気持ちを抱いてしまいます。
誰にでも今すぐに出来る事なのにやらない、それは決して出来ないのではない!
やらない、やろうとしないだけなのだ。
なぜか覚えようとしない、取り組もう、チャレンジしようとしないのだ。
出来るようになれば間違いなくドンドン楽しくなるのに…。
そういうタイプの子って野球以外の所で何か問題はないのだろうか?
普段の生活でもそうなのだろうか? と想像してしまいます。
何とか選手自身が自分で考え、学び、変化していけるよう指導と環境作りが今最も大切な事なのではと思っています。
そして間違いなく家庭も親も重要です。
昔の私を知ってる人は、私が優しくなったと言う。
私の本質やこだわる部分は変わらないが、時代の流れを感じ、時の変化に対応し、時には改善、改革を施す事も大切だと思う。
そう思うと、旧態依然とした選手への叱責、注意は果たして子供達の為になっているのか、何か方法を間違っていないか、私の言い方が親子には合わず理解していただけてないのではないか、昔気質の私は近年の難しい親子の事を知らな過ぎるのではないか、等々自問自答する時が多くなってきた。
私も監督9年目に入りました。
就任当初から支えてくれるコーチ陣には、教え過ぎず、考える習慣をつけさせて欲しいと一貫して要望してきた。
最近でこそ、色んなスポーツ分野の指導者が教え過ぎは良くないと言っているケースが増えて来たような気がするが。
ただし、色んなスポーツが存在する中で、ひとくくりに収まる話ではないのです。
タイム制のスポーツもあれば異種、攻守でメンバーが変わるスポーツもある。
個人単位もチーム単位もある。
大きく分ければ、リアルタイム指示型スポーツとキャプテン主導自主型スポーツの2つに別れるのではないだろうか。
勿論野球はその前者に該当しますが、プロ野球の様なトップレベルになると野球でさえも試合においてリアルタイムの指示などほとんと無い。
つまり自主性を重んじるのだ。
私はこの自主性を早い時期、そう、中学生に持ち込めないかとずっと思っているんです。
しかし幼い中学生において自主性と怠惰は紙一重、現実にはかなり難しいですが、しかしいつも私の心中のどこかにその理想が有る。
これから野球界は大きく変わっていくと思う。
頭髪の事、過度な礼儀作法、等々決して間違いだらけとは思わないが、時代の流れが、良い事も悪い事も飲み込んで、これまた良いか悪いか分からないが新しい物を産み出していくのでしょう。
地球温暖化も相まって甲子園のドーム化、又はドーム球場での高校野球全国大会も実現しないとは限らない。
最初は違和感があっても案外数年後には慣れてきて、合理的な評価をされるのではないだろうか。
話が長くなりましたが、暑い熱い夏が始まりました。
健康管理に留意しながら指導して参りたいと思います。
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