よく野球において 「声を出せ」 っていうのがある。
そこには色んな考え方がある。
中には「声」不要論まである。
先日ネットを検索してると、ある有名な元プロ野球選手が「声」は必要ないと力説していた。
野球経験者には何が言いたいのかは理解出来る事ではあるが、これ明らかに説明不足です。
捕球や送球やスイング等の瞬間は針の穴に糸を通すが如く「黙って」集中という意味のはずで、それ以外の局面で大きくしゃべらなければならない場面は多々ある。
それを「声を出せ」は必要ない、って影響力のある人が一言で簡単に言ってしまうと小中学生にとっては誤解を招きそうで良くないです。
高校生以上になれば瞬時に的確に必要な事を叫ぶ事が出来るのが当たり前だろうと思います。
そうなる為に、小中学生時に大きな声で喋る習慣を植え付け、徐々に選手達が発するその言葉のタイミングと迫力が高まっていくのです。
つまり幼少のこの時期に将来の予行練習を積み重ねている訳です。
将来は目と目で話し、以心伝心へと精度が高まっていく…。
それが出来る選手やチームであれば、普段は静かであっても全然構わないが、未だかつて中学生にそんな選手やチームを見たことがない。
かろうじて、そのレベルに近い選手を数名見たことがあるだけです。
「声」が無いばっかりにお見合いのポテンヒット、激突事故、勘違い、イージーミス…。
「声」が有れば防げることも多く、また、活気、明朗、元気…。
やはり 「声」は必要なのです。
だから私は「声」にうるさい。
そもそも中学生に、必要な事だけ喋れ、と言っても無理がある。
まずは何でも良いから臆病にならず大きな声で喋ることからです。
大人しい性格とか、無口なタイプとか一切関係ない!
野球『頭』が有るように、野球『声』が有ると思います。
究極の理想は何も喋らなくとも1人1人の選手がちゃんと自分のプレーに責任を持ち、高い意識とレベルでこなし、結果を出して行くという事でしょうか。
しかしもう一方では、バッテリーのコミュニケーション、内野のコミュニケーション、外野のコミュニケーション、守備位置やフォーメーションや状況確認、コーチャーズボックスでのボイス、ベンチからの伝達や指示、等々あらゆる場面でゼスチャーと言葉と大きな声が要るのです。
私が今、一番厳しく言っている事です。
キャプテンやキャッチャー中心にその領域に近付いてもらわなきゃ良いチームになんてなれない。
他の選手達にも強い自覚が必要です。
難しいけれど私なりの理想をずっと追いかけています。
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