128】共存

中学生の御父母の年齢は、30歳半ばから40歳半ばくらいまでが大半。
私との年の差は言うまでもなく年々離れていきます。
既に親子ほどの差が開いてる場合もあります。
あと5年もすれば、私の息子や娘に匹敵するくらいの年代の御父母達ばかりになりますね。
感性のギャップを私との間に感じられてる御父母もおられると思いますが。
人との関わりというのはお互いが陶器瀬戸物の様に硬い人間性では難しく壊れやすい。
ややもすれば、昔の常識が今の非常識。
昔の非常識が今の常識になるケースがある事も念頭におかなければならず、また価値観の相違等もあるでしょうから、これをどう認識し、対処していくか。
どの時代だから良い悪いという事ではない。
たしかに現代野球の方が技術論や体格に格段の進歩が見られるが、心と底力の弱さは否めない。
今の時代は 「辛抱」 が少し足りない気はします。
一概には言えないが、過去の方が強くてヘタ、現代の方が上手くて弱い、過去の方が心が通って涙あり、現代の方が笑いはあれど心通わず、といったところでしょうか…。
どちらにも一長一短があるということ。
古いものにも新しいものにも素晴らしいものがある。
未だ気付いていないものも沢山あるはずだ。
大切な事は古きを尊重し、新しきを勉学するという事。
お互いを認め合う必要がある。
偏った思想に陥らない事だと思う。
最近、野球において、精神論を否定される事がしばしば目につきます。
今年55歳になった私はその事に違和感があり、甘いと思えて仕方ない世代、昔の人間です。
精神論だけではもちろん駄目だが、しかしそれも大事。
あのワールドカップラグビーの日本大健闘も球技の違いはあれど、精神論なくしては語れません。
健全な心体は健全な精神から成る、です。
とにかく偏らないよう留意が必要です。
面白いのが、精神論を否定する人には二種類あって、一つは、自分自身で何でも出来る、自分自身を追い込む事が出来る、一人でも大丈夫、何かを極めた人物。
もう一つは、単なる自分勝手でわがままな人物。
学歴や球歴も大事でないとは言わないが、取って付けたような薄っぺらな話より、何かを極めた人の話にこそ真理と説得力があります。
そして指導者には良識と人柄が不可欠な必要条件で、その上でメンタルの分野、フィジカルの分野、道徳の分野、野球技術の分野 (その中でも走、攻、守に分かれるが) 等に担当専門分野を分ける事が出来たら理想です。

さて新チームのこの時期、試行錯誤の段階ですが、打順の入れ換えもあればポジション変更もあるし、ABの入れ換えもある。
意外な選手から意外な能力を発見することもしばしばある。
何をするにせよ土台を頑強に構築しなければ弱いプレーヤーになる。
豊中シニアの選手達は存分に練習が出来、成長が出来る恵まれた環境にあると思う。
夢を持つのも諦めるのも、努力するのもしないのも、自分です。
しっかり目標を持って取り組み、責任ある行動を取って欲しいと願います。

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